12月午後授業 授業レポート「プロジェクトから場所を考える」12月午後授業レポート12

しののいまちの教室スタッフの福田です。

全12回にわたって「場の継続」についてのレポートをしていく第12回目。
今回は2013年最後となる12月21日の午後に行われた授業の内容をレポートします。

デザインディレクターとしてさまざまなプロジェクトを進めている萩原修さんをお招きして、プロジェクトと場の関係性、地域と場のつながりについてお話していただきました。



前半は萩原さんのこれまでの生い立ちや、プロジェクト、仕事のスタンスなどを教えていただきました。
人見知りだという萩原さん。でも人見知りは周りに知っている人がいないと生きづらいから、逆に知り合いをいっぱいつくらなければいけないと話します。
知り合いになるために話をしてその延長線上で仕事やプロジェクトが生まれていく、萩原さんのやりたい仕事のスタンスを生みやすいぴったりな性格だと思いました。



作物のようにプロジェクトを育てる
自分ごととしてのプロジェクトがしたい。そう話す萩原さんの大事にしてきたのが「プロジェクトファーム」という形。
やりたいと言う人だけが集まり、同じ方向を目指し、作物を育てるようにゆっくりと着実にプロジェクトを育てていく感覚で進めているそう。
今およそ20個のプロジェクトが同時進行しているという萩原さん。一つひとつ仕事を片付けていくのではなく、プロジェクトファームという形で進めているからこそ、そういう状態になったのかなと思いました。



商品を買いに来ないでほしい店
萩原さんはいくつか場をつくられているのですが、店舗という形が多いと思います。その理由は、お金を稼げるからではなく、人が集まる場、誰でもはいれる開かれた場をつくりたいと考えた結果だと言います。
置いてある商品はあくまで話のネタであったり、その場を広告するためのものであって、買ってもらわなくてもいい。それよりも、店員さんと話をはずませ、新しい何かと出会ってもらい、また来るね!と言ってもらえる場であってほしい。
そういう想いで出来たのが、僕も先日お邪魔した「つくし文具店」や「国立本店」、「西荻紙店」などの場なのかなと思い、今回スタッフでつくったお店「ten」で店番をしてみて同じような気持ちになったこともあったので、より親近感が湧いてきました。


地域とのつながりと場の継続
人や場と地域のつながりについては、前の職場を出て10年ほど意識して活動してきた萩原さんでも、最近ようやく何かわかったような気がする程度だと言います。
それほど時間をかけないといけないテーマであるからこそ、地域とつながるための場や企画を継続させていくことは重要なんだなと思いました。
東京にしがわ大学の話では、継続していく方法として

● 新しい人が入ってこられる環境をつくること
● 誰でもやっていける仕組みにすること
● 続けていく覚悟がある人が1人は絶対いること

などが出てきました。
ゆっくり気長に待てる人や大きい受け皿でどんどん更新して行ける団体が地域に入っていくにはぴったりなのかなと思いました。


話を聞いているうちに萩原さんのゆったりとした雰囲気とプロジェクトへの想いがリンクしていき、”自然体”という言葉が浮かんできました。
全部自分のこととして、自分のやりたいこと、楽しいことを織り交ぜつつプロジェクトを進めていく姿勢があるから、無理をしている感じがない。そんな萩原さんだから、いろんな人が安心して関わっていけるプロジェクトがつくっていけるんじゃないかと感じました。



最後の集合写真では、萩原さんとじゃんけんをして負けた人が一番前の列に座るという、萩原さん流の方法で整列して恒例の「しののい~!」の掛け声でぱしゃり!
楽しく授業を終えることができました!  

2013年12月23日 Posted by しののい まちの教室 at 18:26これまでの授業レポート

12月午前授業「お寺に駆け込もう」授業レポート

こんにちは。
「しののい まちの教室」スタッフの浅野です。


今回は今月21日に行われました12月午前授業「お寺に駆け込もう」の授業内容をレポートでご紹介します。


レポートに入る前に、問題提起を1つ。
皆さん、日本全国には皆さんにもよく行くという方がいらっしゃるコンビニの数よりもお寺の数の方が多いんです!
考えてみると実はこれは驚くべきことです。


授業には『ひとなみ』を主宰する行政書士の勝桂子さんをお呼びして“私たちがお寺とどう関わっていけば良いか”ということを中心に考えました。
今回の授業会場は当授業の授業コーディネーター岡澤慶澄さんがご住職を務める長谷寺でした。


参加者は学生さん、公務員(役所)、ご住職、宗教に詳しい方、会社経営者など多岐に渡っていました。


まず最初に授業当日までにその準備として篠ノ井地域にあるお寺55か寺にアンケートを取って、その回答をもとにして授業を進めていきましたが、
なんと55通のうち8通も返信があったのです。


とあるお寺ではやはり檀信徒以外の参拝は諸手を挙げて歓迎というところまではできないという意見もありました。
防犯や受入体制なども理由として挙げられていました。
一方でそのお寺が「どのような形で地域に開かれているか」を
写真を同封するなどしてまでその内容をお伝え下さいました。
座禅会や写経会、縁日やコンサートを行うお寺もあるようです。


アンケートの内容をご紹介いただいたら、いよいよマッピング作業開始です。


参加者にグループごとに分かれてもらった後、事前に用意した地域マップにお寺の位置とアンケートに基づいた情報を書き込んでいってもらいました。
その結果、たとえ興味深いイベントを開催していたとしても遠くに住んでいる人はもちろんのこと、近くに住んでいる人でさえ、そのイベントの存在を知らなかったり、
知っていても縁遠いものだと思ってしまっているという言葉がちらほら出ていたりしました。

昔から地域の要でありアジール=聖域として○○寺おいう呼ばれ方もしたお寺。
今もその役割があって然るべきなのに、いつの間に葬祭と盆正月にしか行かない存在だと思っている人も増えてきてしまいました。
いつもは意識の外にある場所。でも全ての人にとってその地域のことを昔から知っているお寺が行うイベントであり、その場所そのものが
非常に可能性を秘めた存在だということが東日本大震災などを機に「絆」という名のもと、見直されつつあります。


「もっとマッピングのピンを増やしたいけれども、どうしたら良いのか皆と考えたい」
講師の勝さんの気迫が伝わってきました。


そもそもどうしてお寺の可能性が見直されてきたかということですが、
日本の産業構造や日本人の価値観の変化に時代の要請が追いついてきたということが授業を通じて指摘されました。


日本が高度経済成長期を経て成熟期、そして人口減少時代を迎える中で緩やかに後退局面を迎える中で、
競争激化による国内産業の空洞化やブラック企業の存在をはじめとする仕事を取り巻く環境の悪化、
さらに幸福感や「社会に適合する人、不適合な人」というレッテルの存在が
「これは何かが違うのではないか…」と気づかせる人を増やしてきた原因となってきました。


社会やそこでの競争という名のレースで不本意ながらついていけなかった人は果たしてどうすれば良いのか。
自死率が以前高水準にある日本でその人たちのセーフティーネットとしてもお寺は大きな可能性を秘めているのです。


後半ではグループで討議の時間を取りました。
日頃考えないからこそ、参加者同士立場関係なく率直な意見を交換できたようでした。




その中で出てきた意見として、
1、「お寺に期待することとして悩みを持ったときに相談しに行けたらと思う。」
2、「自分の心と向き合う。心を解き放ちたい。目に見えない力。」
3。「絆が欲しい。」
4、「日常的に何かを知らしめる何か。写経など。」
5、「お寺に行って人との繋がりを求めたい。お寺の周りにいる人たちが関心を持ち合って話しかけ合えるように。」
6、「コミュニティーにあった地縁的な繋がりが公共サービスという名の下に繋がりが希薄化してきた。」
というような内容が発表されました。


最後に締め括りとして、
「生きテク」
「まちの駅」
これら2つの可能性について勝さんから指摘•提案がありました。


生きテクは自死を選んだ人たちが死にきれずそのときの思いを綴った文がまとめてあるもので、
「インターネット上には自死の方法は多く見受けられるのに生きる方法は少ないじゃないか」という
発想で講師のお知り合いのオキタリュウイチさんが代表を務めるメディアのことでした。
生きテクのホームページのアドレス
http://ikiteku.net/

まちの駅は道の駅が街にあるように街中で気軽に街の人たちと交流できるところのことです。
「自由に使えるトイレがある」「常駐者がいる」「お茶が飲める」といった条件で、
お寺や地域の要となる場所を登録してもらうことで地域の力を底上げしていける可能性を秘めています。
まちの駅のホームページのアドレス
http://www.machinoeki.com/

この「しののい まちの教室」でお寺の可能性について考えることで、
もう何かが始まる、始められるのではないかという予感がしました。
  


2013年12月23日 Posted by しののい まちの教室 at 00:29これまでの授業レポート

《授業レポート》2013/11/16 am 「ビジネスから場所を考える」11月午前授業レポート05

しののいまちの教室スタッフの福田です。

全12回にわたって「場の継続」についてのレポートをしていく第5回目。
今回は11月16日の午前に行われた授業の内容をレポートします。

アンヤットの代表取締役を務める、濱本学泰さんをお招きして、場所や地域の中でお金を生み出し、持続していける方法を学びました。
今回の会場は前田製作所の建物の11階。
いつもは見られない高さで篠ノ井のまちを眺めながら、開放的な気持ちで授業が進むような気配を感じました。



まずは長野のものをどうやってお金にするかをグループで考えてもらいます。
リンゴ、蕎麦、米、カラマツ(木)をお題にして長所や短所などの特徴を把握して、そこから売り出し方を考えます。
ダジャレで音を踏んだフレーズをつけたり、ゆるキャラを生み出したりと楽しみながら様々なアイデアが出てきます。



歴史からヒントを
まちや土地の歴史を深く掘り下げることで、他の地域にはない特徴やストーリーが見つかり、それがものを売り出すときの付加価値や必然性へとつながると濱本さんは言います。
確かに今回、普段身近なものである長野のものどの売り方を考えた際に、なぜ長野でリンゴが有名なのか?リンゴってどうやって食べるっけ?と改めて考えてみると“長野の”○○というのが大切で、その特徴やストーリーを中心に押し出すことに、可能性を感じました。



地方にお金が流れる循環型の経済システム
「ある時ふと気付いたんです、地方こそお金が流れてないじゃないかと。そこで、地域の中でお金がぐるぐる回るような経済をつくれないかと思ったんです。」
と小松市に帰ってくるきっかけを話す濱本さん。
まちづくりをする時、継続していくようにしなければそれぞれが単発で終わってしまい、まとまりもなくなってしまうので、お金が新たなお金を生み出すようなお金が循環するシステムをつくることが必要です。
小松市での濱本さんの活動をお聞きすると、濱本さんが仲介になることで、地域の人をたくさん巻き込み、どの人にもメリットがあるシステムが生まれていました。
グランドデザインをはっきりさせて、最初のお金を調達し、システムやネットワークを構築して、活動を広く発信して、人をどんどん巻き込んでいく。
地域にお金が流れるために、濱本さんが大事にしてきたポイントを教えていただきました。



これから強いのは地方だ
濱本さんが話す地方は、きれいな水があり、食物をつくっていて、自然や歴史などの資産がたくさんあるとても豊かなイメージでした。
その資産を都会や外国に取られないように大切に守ってき、それを武器に地域内で循環できるシステムをつくることができれば、外で何があっても安心して暮らせるんだと。

最近、地方での動きが活発になって注目されていますが、この話を聞いてその理由が少しわかった気がしました。
都会はものや情報がたくさんあって憧れるところもありますが、コロコロと変わる社会情勢に左右されて、不安や心配がどこかで引っかかっている、落ち着かない場所なんだと。
だから、資産が安定していて自給自足が成り立つ、経済的にも文化的にも落ち着ける地方に目が行き始めているんじゃないかと思いました。



経済やお金の話となると堅いイメージですが、終始ユーモアを織り交ぜながら話す濱本さんは、とてもやわらかいイメージでした。
地域循環経済システムをつくるということは、人と人の良好な関係を地域内でつくっていくことだとも言えます。
濱本さんの知識や経験の上にやわらかな人柄もあって、小松市での活動が成功しているんだなと感じた授業でした。



次回は今年度最後の、しののいまちの教室。
午後授業の「プロジェクトから場を考える」は”場の継続を”キーワードに、今回の授業とつながる内容を企画しています。
講師にはデザインディレクターの萩原修さんをお迎えします。
今回の授業を受講された方はもちろん、次回の授業だけでも楽しめるようになっていますので、ぜひお越しください!

>>> 12/21午後授業「プロジェクトから場を考える」  

2013年11月18日 Posted by しののい まちの教室 at 11:15これまでの授業レポート

《授業レポート》2013/11/16「コミュニケーションをカタチにする」

しののい まちの教室 スタッフの松山です。

11/16pmの授業では、graf代表の服部さんを講師としてお迎えし、見えないものをカタチにすることをテーマに、たくさんのお話をしていただき、また授業後半ではワークショップといったかたちで学ぶことができました。



受講者さんにそれぞれの特技や趣味を事前に聞いておき、私たちスタッフがその絵を描き、名札を作成しました!これを受講者さんに首から下げていただき、授業がスタートしました。

もともと家具をデザインしてつくっていた服部さん。デザインし、販売する過程の中で、どうしたら自分たちがつくった家具をお客さんに長く使ってもらえるのかを考えていくうちに、家具について知ってもらうのではなく木のことを知ってもらうべきだと考えたそうです。そういった考え方から、今の服部さんの「見えないものをカタチにする」という発想が生まれてきたのではないでしょうか。


見えないものを可視化する
見えないものを可視化、カタチにするための手法をワークショップを通して学びました。さまざまな特性が活きるようなチーム分けをし、各チームごとに長野にあるものとないものを出し合い、なぜあるのか、なぜないのかを議論し、絵や文字で可視化し、そこから長野には何が必要なのかを提案しました。

地域にあるものを探し、見えないものを導きだす。そこには何がなくて、なぜないのか。その場所にある、時代がつくってきたものを見つけ出し、その土地に本当に必要なものを見つけ出す。そこにはどんな問題があってどのように解決するべきなのか。この考え方が、その地域のために一番よいまちづくりにもつながるのではないかと思いました。


デザインは目的ではない 目的を遂行するための手法でしかない
最近、つくった人の満足でしかないような、デザインを重視したものや建物が世の中に多くなってきているように思います。しかしデザインとは、デザインすることが大事なのではなく、なぜデザインするのか、何のためのデザインなのか、ということが大事なのだと服部さんは言います。地域には地域ごとのさまざまな問題がありますが、その問題を発見し、解決するための手法としてデザインを使う。意味を持たないデザイン重視のものをつくるべきではなく、デザインをすることで問題を解決しようという考えをもって、デザインをしていくべきだと思います。



また、ものづくりを行う上で、自分の想像を超えるものをつくりたければ、自分と違う能力を持つ人とのコミュニケーション、チームワークを大事にするべきだと服部さんは言います。自分にはこれしかできないと考えるのではなく、自分にはこれができる、だから自分にはない能力を持った人と知識を共有することで、自分の想像力以上のものを生み出すことができるのだと考えることが大事だと感じました。それはこれからの未来につながるための近道なのかもしれません。


最後に、みんなで!にーこにーこ、にっこにこ!パチり!!  

2013年11月17日 Posted by しののい まちの教室 at 19:45これまでの授業レポート

《授業レポート》10/19am 「ちゃんと悲しむ、ちゃんと見送る」

スタッフの小林です。
今回の授業では松本市にある東昌寺のご住職・飯島惠道さんを講師にお迎えしました。「え?宗教の授業?」と少なからず誤解をされることもありましたが、その中身はぼくらの日常生活の「基盤」に触れることができた授業でした。

「しののい まちの教室」スタッフが熱演した「模擬葬儀」


「みなさんは、自分のお葬式のリハーサルをしたことはありますか?」という飯島先生の一言からはじまったこの授業。そんな経験、そうそうないですよね。今回はぼくらスタッフが総出で、ある架空の家族が直面した葬儀のシーンを一幕の劇として演じました。
あらすじはこうです。

篠たくと は地元国立大学に通い、大学のオーケストラにも所属する音楽が大好きな青年。
しかし、ある日突然、帰らぬ人となってしまう。弔問に訪れたたくとの親友から、実は親友3人の間で交わしていたリビングウィル(生前に発効される遺書)があり、「自分以外の人にもしものことがあった時には、その友人の家族に責任をもってそれを届けることにしていた」とも告げられる。そのリビングウィルには「無宗教・音楽葬で送ってほしい」と書かれていた。リビングウィルの存在を知らされていなかった家族は動揺する。たくとの遺志に沿った葬儀を行うか、従来どおりの葬儀をおこなうか・・・。たくとが希望した形の「お・み・お・く・り」は、果たして実現するのだろうか?




—— 家族、葬儀社、菩提寺の住職、たくとのオーケストラの先輩である医師など巻き込み、すぐには解決しない問題に葛藤や苦悩。最終的には本人の遺志を尊重したカタチの葬儀が執り行うことになりました。
まずはこうした模擬葬儀を通して、誰かの死に接する時には「いくつもの立場がある」ということを受講者のみなさんと共有しました。

誰の視点からみた「死」なのか。
 講義の中で登場した「人称別の死」というキーワード。つまり、一人称=わたし自身、二人称=わたしとあなた(家族・夫婦・親族などのごく親しい間柄)、三人称=わたしと彼/彼女(友人・知人・初対面の他人などの第三者の間柄)という3つの立場のことです。ぼくもこの授業の告知の時に「誰かの死に際した時……」というフレーズを使っていたのですが「そういえば、自分が送られる立場にもなるんだ」と当たり前だけど、忘れてしまいがちなことを改めて認識。
 模擬葬儀を演じたキャストを交えながら、3つのグループに別れてそれぞれの立場からの死について話し合いました。「自分の好みだけで葬儀を決めていいのか?」「葬儀は遺された人が納得するものにしないと」「第三者なのに不思議な責任感に動かされた時がある」など、各々の経験を交えながら話し合いは進み、なかなか止まりません!




見過ごせない三人称の死 ——
 各チームからの発表を経て、飯島先生は「三人称の親密圏」というものに着目されました。震災の例を出しながら、見ず知らずの人のことでも心は傷つき、深い哀しみに襲われたあの時。家族でなくとも悲しみに耳を傾けてくれる人の存在がいてくれること、その人達と親密な関係を築きながら暮らしていくこと。自分の遺志を託すことができ、また一方で悲しみを語り合い、哀しみを見守れるまち。 
 この授業を通して、図らずもスタッフ同士でそれぞれの喪の経験やどんな葬儀で送ってほしいかとポツリポツリと話しだすことがよくありました。思い返せば、劇中でリビングウィルを託し合った友人たちのように。何かがあったときだけの一時的なものではなく、普段から見えないところで機能していくのが「ほんとうのつながり」なのかもしれませんね。


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10月午後授業「支え合うまち 繋がるまち」の授業レポート
>>>こちらから  

2013年10月21日 Posted by しののい まちの教室 at 11:54これまでの授業レポート